昭和44年05月29日 秋永ソノの霊神50日祭



 十日、十日のお祭りも真心を込めての奉仕をなされ、そして本日こうして50日祭が持たれ、まぁ言わば本日のお祭りをもって、初めて御霊様の列に加えられる事が出来たということでございます。本当にあのう何と申しましょうかね。この世で貧富の差がはっきり分かりますね。お金持ちさんとか、貧乏人とかちゅう事はこの世ではっきり分かとりますように、いよいよあの世ではまぁこれがね、この世で貧富の差が分かる以上に、はっきりと信心の徳を身につけた者、付けていない者の開きがある。
 いうならば御霊の幸、不幸のはっきりする世界においでられた訳でございます。皆さんここんところをね。本当によく分からしてもらわにゃいけんです。私は今日様々に神様からお知らせを頂きます。また御霊の喜びを様々な形で現して下さったのでございますけれども、本当に私共分かっておるようでおって分かっていない。確かにこの世では貧富の差がみんな分かります。けれどもまぁ「あっちは沢山お金をもっちゃるかと思いよったら、つぶれなさったげな」とか言うのがあるから。
 分からん場合もあるでしょうが。この様に貧富の差が大体はっきりしているけども、そのう分からん事すらあるけれども、あの世だけでは絶対そうじゃないんです。もうはっきり分かる世界ですね。もうこちらで信心の徳を積んでおる者と、いない者の開きがはっきりこの様に、はっきり分かる世界はないところへおかげを頂かれて、ならお婆ちゃんが、これからどういう御霊の生活に入られるだろうか。私今日はいわば三つのお祭りをさして頂いたね。御御霊様を洗礼申し上げる。
 この御霊家にお移し申し上げる式を、私ひとりでさして頂きました。時になんかはもうなんちゅうでしょうかね。あのう子供がはしりぐらする時に、もうスタート台に立ちますでしょ。もう本当にもう1秒間を争うような勢いで、御霊家に入られたんですよ。いかにねおかげを受けておられるという事が感じられました。それからあのう納骨式を先に終わらして頂きました。もうその時などもですね。もう私は驚いてしまいますですけれども。もう本当にあのう。もう自分の願いに願っておったところに収まられたという。
 その喜びでしょうかね。しかも秋永先生が、先頭に御遺骨を奉置して、あちらに進みましたんですけれども。私御心眼に拝むのは、文雄さんと嘉朗さんがその後に続いて、あのう納骨のおかげを頂かれる。いわゆる確かめた。子供達が確かめてくれたただけではなくて、もうこれ以上の満足はないと言う様な表現でしたね。こちらの御霊様のいよいよ、お祭りをさして頂きますのにあたりまして、1番始めに頂きます事がね、あの千手観音様と言うのがあるでしょうが。
 後にも前にも手をもった、しかも様々なものを持ったそのうお観音様を千手観音様。その千手観音様が、この真正面の手をもうとにかくもうなんというですかね、この合掌されてですね。この周囲にある手の全部がね、その合掌しておられるというて、何も持っていない千手観音はいろんな物を持ってござるですけど、ただただ合掌だけの姿を頂いた。言うならばもうこれ以上の満足はない。もう周囲に全てにお礼が言えれる。もう本当に有り難いその姿であったと思うのです。
 私はそういうね世界に、私共どうせ一遍は入らなならんのですよ。だから私共はこの世でですね、本当言うたらこの世でいや四方拝とこういうことをいわれますがね。いわゆる自分の周囲の全てが、拝めれる人格とでも申しましょうかね。いわばそういうものを作っておかなければならんという事ですね。これはね先程も申しますように、この世では分からない。けれどもあの世でははっきりそれが分かる。いわばこの世では自分の頂いておることも、分からない人がたくさんありますよ。
 今朝の御理解に頂きますと、天地の親神様の御守護を頂き、天地金乃神様のこのようなお働きを頂いとる。しかも足らん足らんといいながら、その日その日はきちっとおかげを頂いとるといった様な事なんか、足らん足らんのそこに不足があるです。実を言うたら神様のおかげを頂き、金光大神のお取次ぎを頂いて、実を言うたらその人なりその人の信心なりに、ここの合楽のご縁を頂いておる人達は、立ちゆかんことないだけのおかげは、みんな頂いておるです。
 明日食べるものがないというても、ちゃんと明日のものが与えてあるほどしにおかげを頂いておる。それをここでは気付いていない訳なんです。今朝の御理解を頂きますと、そこのところがもっとよく分かるんですけれどもね。合楽にご神縁を頂いておるということが、どのくらい有り難いことかということを感じます。そのことの御霊のいわば喜びというか、ようもようも親先生あなたのお手続きをもって、金光大神の信心をさして頂いておったということが、このように有り難い事が。
 始めて御霊ながらに御霊として、なっておかげを分からして頂いたというような言葉をもってするならば表現でした。御霊様がこれからどの様な働きを現して下さるか。またこれから遺族の者の信心があいまって、その印が見えて来るほどしのおかげを受ける事だと思いますけれども、本当にいうならばこの世で貧富の差がはっきり分かるように、より以上にあの世では、信心を頂いとった徳が、あのような難儀な中から、ようも金光様のお取り次ぎを頂いて、ここまで信心を進めておったということが。
 この様にもはっきり有り難く分からして頂く世界。そういう世界にこれからおかげを受けられた。例えば今日あすこへお供えがきとりますことなんかね。それが昨日昼前きとったら、昨日はここで大変な信心研修会がございました、他の教会の先生方が見えて。ですからもう花が足りないと言いよったからもう、あらゆる部屋にですね、この花は使われとったに違いないです。ところがひと抱きするごとこの花を沢山持って来た人が、明日のおばあちゃんの御霊様のお祭りなんか、全然知らんとですよ。
 いかにあの神様のご信用を受けておるかと、そういうな方でも分かるでしょうが。なら今朝から愛子があぁしてあのうお供えをさして頂きましたが、こりゃもう絶対秋永先生のお婆ちゃんの為にお供えに来とるとぞと言って、私今朝からさせました。根元には小さい紫の花が、いっぱい咲いておる。紫の花が向こう側にいっぱい入れてございます。いかに安心の御霊であるか。いかに合楽流のご流儀の信心によって助かり救われておったかと、いう事をそこから感じる事が出来ますね。
 まだそのことを申し上げますともういろんなです。もう本当に神様のご都合ということと同時に相俟って、御霊様の働きをですね感じさせて頂事がございましたが。お互いもこれからの信心がですね、確かに私がここに口をはって申し上ます事はね、合楽にご神縁を頂いておる人はね、もうこれでしまえた。これで行き詰まったという事は、絶対ないということです。今朝の御理解を頂いてごらんなさいませね。ですから明日さぁと言う場合でもお願いに来ればおかげが頂ける。道が開ける。
 というほどしのおかげの中にあるんだと分からして頂いて、それを繰り返し繰り返し分からして頂くところから、このようなお守りの中にあるのだからという、安心の生活が出来ます。もちろんそれが喜びの生活になります。その喜びの生活がです、神恩報謝の生活ともなって現れて、有り難い信心生活が出来るわけです。それが例えば分からんなりにもです、例えば御霊様がですね。御霊の世界に入られてから、初めて分かられること、それはこの世で貧富の差がはっきりわかる以上にです。
 この様にも段が違うものかと、この様なお取り扱いを頂いてもよかろうかというほどしにです。信心のお徳がものいう世界。それが御霊様の世界。私は今日改めてそのことを非常に切実に、このう感じさせて頂いたのでございます。どうぞお互いそういう信心にあやからせて頂いてです、とにかく私は安心の中に有りながら、不安な事はなかろうか、落ち着いていっておるのに、けそけそしていることはなかろうか、こと神様のことだったら、昨日の平田さんのお話しじゃないけれどもね。
 いわゆる私の金光様の御信心はすべからくです、神、が第1だと。次には、公、おおやけ。そして、私、私的なこと。神、公、私という事を言うておられます。私共がこのいよいよ、神、の力を頂いて、その神のおかげを頂くためには、先ずなんというても、神、第1とするところの信心にならせて頂かなければ、神、のいわば安心が頂ける筈が絶対にありません。一にも神様、二にも神様というような行き方の信心をです、いよいよ体得さして頂きたいと思いますね。どうぞ今日の御霊様のお祭りにあやからして頂いて、そこから、何かひとつでもですね、分からして頂ける信心がでけたら、御霊様の喜びでもあることだと、私は思います。
   どうぞ。

 『秋永信徒会長のご挨拶』
 上からではございますけれど、一言今ご挨拶させて頂きます。今日はそのお婆ちゃんが亡くなりまして、ちょうど五十日でございまして、非常に有り難いことで、敬信会の日にこういうお祭りが仕えられるということは、非常に母も喜んでいると思います。感激でいっぱいでございます。大変おかげを頂いとりましたから私共、ご覧のとおり親戚が少くのうございますけれども、親戚以上の方達ばっかりでございまして、まぁ大変お世話になりました母でございましたけれども。
 せっかく私兄弟4人おります皆それぞれに信心を残してくれましたし。それがなによりもないひとつの宝と致しまして、今後ま精進させて頂きたいと思います。また今日までいろいろとお供え物も次々と頂きまして、何かそれに対するお礼も申し上げとりませんですけれども、心からお礼申し上げます。真に農繁期でもございますし、今日真に多忙の中から多数ご出席下さいましたことを心中よりお礼申し上げます。真に簡単でございますけれども、挨拶に代えさせて頂きます。お祭り終わりましたら、裏でお直会を用意しておりますので、どうぞひとつごゆっくり頂かれて頂きますよう。有り難とうございました。